安保法制が、特に集団的自衛権が多くの憲法学者に違憲と言われていますね。自分が思うには、プロの学者なら基本的には、あからさまに筋の通らない主張はしないはずなので、その学者たちの「違憲」という判断にはかなりの説得力があるだろうと予測できますし、それに対して合憲だと主張しようとするならば、違憲と考える学者たちの主張をよく検討して批判を加えていかなければならないでしょう*1。ここで「学者の言う通りにしたら…」*2と言ってしまっては、合憲か違憲かの議論を投了した(つまり、学問的には違憲と考えられると認めた)のと同じではないでしょうか。まあ、こんなことはすでに多くの人に指摘されているとは思いますが。
ここで自分の立場を明らかにしておくと、自分は少なくとも
*3今回の安保法制の法案がこのまま通ってしまうことには反対です。安保法制の必要性と合憲性がよくわかるような議論が国会その他でなされていないように思うからです(自分が知らないだけで本当はなされているのだとしたら、ソースを挙げてご指摘いただけるとありがたいです。その可能性もあると思いますので)。
さて、自分としては反対なのですが、反対の人が反対の立場の側からだけ考えても、もしかしたらあまり生産的でないかもしれないと思ったので、ここでは賛成の側になるべく寄って考えてみようかと思います。
では何を考えるか。安保法制の必要性については、正直今の自分には考える材料(例えば安全保障環境についての知識とか)が足らない気がするので、今回は安保法制の合憲性・
違憲性を考えることにします。しかし一口に安保法制といっても内容盛り沢山なので、今回は
集団的自衛権、いわゆる後方支援、
PKO等への協力のうち、
集団的自衛権に限定して考えてみます
*4。
この記事の内容をまとめると、
憲法9条は戦争や
武力行使を禁じているが、
憲法13条(「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を国政上、最大の尊重を必要とするものとしている)を根拠とすれば、国内の安全確保・主権維持のための、つまり「防衛行政」(≠軍事)としての自衛のための「必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される」と考えることはできる(個別的
自衛権合憲説)。しかし、
集団的自衛権については、これを9条の例外と見なせる条文は
憲法の中に見つからない。というのも、
集団的自衛権というのは
国際法上、結局のところ他国の防衛のための権利であり、他国の防衛を助けるための
武力行使は「「防衛行政」や「外交協力」の範囲には含まれず、「軍事」活動になる」と思われるが、しかし軍事権についての規定は
憲法にはないからである。つまり、「政府が
集団的自衛権を行使するのは、
憲法で附与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう」と。まあ、こんな感じだと思います。
この記事を読む限り、
国際法上のいわゆる
集団的自衛権をフルに行使することはまず間違いなく
違憲だろうと考えられますが、しかし
集団的自衛権の行使となるようないかなるケースも自衛のための「必要最小限度の実力行使」や「防衛行政」には当てはまらないのでしょうか
*5。こういう疑問は当然出てくるかと思います。例えば、砂川判決を根拠とするいわゆる「限定容認論」というのはこの疑問に対する一つの回答として受け取ることもできると思います。ただし、砂川判決をその根拠として挙げるのはまったく正当でないでしょう。この点については、木村草太先生の記事の2ページ目で、合憲論者が
集団的自衛権を合憲とする四つの論拠のうち、第四の論拠について述べられている箇所から、十分そう言えると思います。
しかし、砂川判決を持ち出すことが正当でないとしても、上記の疑問を呈すること自体が不当になったわけではないでしょう。では、この疑問についてはどう考えればよいのでしょうか。考える手がかりとして、まずは木村先生の記事の、合憲論の第三の論拠についての箇所を引いてみます。
第三に、「自衛のための必要最小限度」や「日本の自衛の措置」に集団的自衛権の行使も含まれる、と主張する論者もいる。〔中略〕しかし、集団的「自衛権」というのがミスリーディングな用語であり、「他衛」のための権利であるというのは、国際法理解の基本だ。それにもかかわらず「自衛」だと強弁するのは、集団的自衛権の名の下に、日本への武力攻撃の着手もない段階で外国を攻撃する「先制攻撃」となろう。集団的自衛権は、本来、国際平和への貢献として他国のために行使するものだ。そこを正面から議論しない政府・与党は、「先制攻撃も憲法上許される自衛の措置だ」との解釈を前提としてしまうことに気付くべきだろう。
ここでのポイントは、
集団的自衛権の行使は、日本に武力攻撃を未だしていない外国への先制攻撃となってしまうという点にあるでしょう。しかし、先制攻撃は「自衛のための必要最小限度」を必然的に超えてしまうのでしょうか。それを超えないような先制攻撃というものは、まったくありえないのでしょうか。
たしかに、例えば地球の裏側みたいな、日本からかなり離れたところで同盟国・友好国の軍艦が他国に攻撃されたとしても、その軍艦を守ることは純粋に単なる他衛であって、日本国内の安全確保・主権維持とは関係ないと思われるので、そのような場合に
集団的自衛権を行使してその他国に先制攻撃をするのは
違憲となるでしょう。しかし日本の領海・領空内やその付近であったらどうなんでしょう。例えばそこでアメリカの軍艦が近隣の某国から攻撃されたとしたら。そういう場合にアメリカの軍艦を守るために相手国の軍艦等々に対して攻撃(日本とその相手国の二国間では日本が先制攻撃)するのは、「自衛のための必要最小限度」とは考えられないでしょうか。無論、やはりそれも「必要最小限度」を超えているのだという意見もあると思いますが、しかしそこでアメリカの軍艦を守らないことが日本国内の安全確保・主権維持に重大な影響を与えると考えられるならば、そのようなケースにおいて
集団的自衛権という他衛のための権利を行使することは、「自衛のための必要最小限度」に含まれるものと考えられる、というような意見はまったく成り立たないでしょうか。そこに議論の余地は無いのでしょうか。
と、ここまで合憲論者寄りに考えてみましたが、やはり
集団的自衛権を限定的にでも認めるのは、今の
憲法では難しいだろうなという気がします。日本の領域から離れれば離れるほど
違憲感が増すので、どこか遠くに行って
集団的自衛権を行使するというのはまず無理そうだなと思いますし
*6、日本の領海内や領海付近の場合で「必要最小限度」の範囲内の事態を想定しようとすると、今度はその事態は個別的
自衛権や警察権の範囲内では対処できないのかという疑問が出てきます。
また、たとえ個別的
自衛権や警察権では対処しきれないがしかし「必要最小限度」には収まる(と多くの人が納得するような)事態が想定できたとしても、そういった事態に
のみ集団的自衛権を行使できるようにするための、行使の可否を分ける明確な基準を規定する必要があります。いわゆる歯止めですね。この明確な基準がなければ、時の政権が好き勝手に判断できることになって、理念的には合憲を目指したが実質的には結局
違憲にしか見えないということになってしまうでしょう
*7。
そういうわけで、自分としては、少なくとも今回の安保法制の法案がこのままたいして議論もかみ合わずに通ってしまうことには反対なわけです。与党にも野党にも明快な議論を求めますし、無理を通して道理を引っ込めるようなやり方は絶対に避けていただきたいです。
事実誤認や筋が通らないなどあれば丁寧なツッコミいただけると幸いです。何人に読まれるのかわからないですけれども。
あと追記ですが、記事タイトル変えました(2015/07/25)。